連句の著作権 竹内亮
連句は、何人かの連衆が出す句を1人の捌きが整理してできていきます。では、できあがった連句作品の著作権は誰に帰属するでしょうか。
○結合著作物と共同著作物
作者が1人の作品(たとえば、村上春樹さんの小説『羊をめぐる冒険』)の著作権は、作者(村上春樹さん)に帰属します。では、2人以上で一緒につくった作品の場合はどうでしょうか。著作権法は、「一緒につくる」を2つのパターンに分けて考えます。
1つ目は、作詞家と作曲家で楽曲つくるような場合です。「風の谷のナウシカ」のテーマ曲は、作詞が松本隆さん、作曲は細野晴臣さんですが、テーマ曲の歌詞とメロディは切り離して個別に利用することができます。歌詞だけを出版したり、メロディだけを演奏したりすることができるからです。このような場合、歌詞の著作権は松本隆さんに、曲(メロディ)の著作権は細野晴臣さんにというように個別に帰属します。小説と挿絵の場合も、分離して利用できるので同じです。これを「結合著作物」といいます。
2つ目は、できあがった作品が分離して利用できない場合です。2人の人が一緒に描いた1枚の絵はこれにあたります。この場合は、その1枚の絵の著作権は絵を描いた2人の両方に帰属します。ただし、漫画家とアシスタントさんのような場合、アシスタントさんは、漫画家の指示に従って作業をしていると考えて、著作権は漫画家1人に帰属し、アシスタントさんは権利を持ちません。
○対談は分離できる?
このように、2人以上で一緒につくった作品は、分離して利用できるかどうかによって権利の帰属が変わるのです。映画やテレビドラマはこれらとはまた別の結論になるのですが、その説明は今回は省略します。では、連句はどちらでしょう?
連句に少し近いと思われるものとして、著作権法の世界では、書籍や雑誌に掲載されている座談会(対談・鼎談など)について議論がされています。
たとえば、江國香織さんと辻仁成さんの対談があるとします。江國さん、辻さん、それぞれの発言は分離して利用できるでしょうか。ここでいう「分離して利用できるか」は、物理的にというよりは、江國さんの発言だけを切り出して出版することに意味があるかというようなことを考えます。そして、著作権法の世界では、対談の個々の発言については、分離して利用できるという意見と個々の発言を取り上げても意味がないので分離して利用できないという意見の両方があるのです。なんだかすっきりしない結論で申し訳ないのですが法律の世界ではよくこういうことがあります。
この議論から考えると、連句について、それぞれの句を分離して利用できるという立場からは、結合著作物となり、歌詞とメロディのようにそれぞれの句の提出者にそれぞれの句の著作権が帰属することになります。
逆に、それぞれの句を分離して利用することはできないという立場からは、連句は作品全体が1個の共同著作物となり、2人で描いた1枚の絵のように、連句の作品全体の著作権が全参加者に同時に帰属するということになるのです。もっとも、発句については分離して利用できそうだけれど、それ以外の句については分離して利用できないという立場もありそうです。
○掲載するときの注意
連句を結合著作物と考えるか共同著作物と考えるかは、作品をインターネットに掲載したり、出版したりする場合に影響します。4人の連衆のうち1人だけが出版に反対している場合、各句の提出者がそれぞれ著作権を有しているという立場(結合著作物とみる立場)からは、反対している人の提出句(たとえば、3句目と7句目と10句目)を別の句に差し換えればその作品をインターネットに掲載したり出版したりすることができますが、連句作品全体の著作権が1個の共同著作物と考える立場からは、1人が反対している限り、その作品はインターネットに掲載したり、出版したりすることができないのです。
以上のように、連句を結合著作物と考えるか、共同著作物と考えるかは、法律界でも両方の立場があるところなのですが、この結論を左右する「分離して利用できるかどうか」には、連句の作品とそれぞれの句との関係をどのように考えるかという連句の本質的な問題が関係しているように思います。
竹内亮(たけうち・りょう)
1973年生。歌人(塔短歌会)。弁護士・弁理士。第1歌集『タルト・タタンと炭酸水』(書肆侃侃房)。現代歌人協会報に「著作権Q&A」を連載しています。