駆け抜ける 西川火尖

 「リビングに子供用トランポリン置いてて、風呂上がってさ、ちょっと思いついて、「全裸トランポリンだ!ひゃっほーい!」って小声でいいながら跳んでみたけど、俳句にはならないね。」(2022年3月21日午後11:17 )とツイッターで呟いた。寂しさからというわけではなかったが、ささやかな奇行を、「俳句のためです」みたいな照れ隠しを混ぜてネット上に流した。


 そしたら「川柳にはなるかも」「連句にはなるよ」って立て続けに返信がついて、川柳の友人が川柳を作ってくれた。ならば私もと<ゆく春のトランポリンを降り全裸>という俳句ができた。その句に連句の友人が<くちぶえがまだ吹けずお遍路>という脇をつけてくれた。そこに川柳の友人が、第三をつけて、まるでミュージカルや映画の登場人物たちがいきなり踊りだすみたいに、偶然その場に居合わせた私たちは連句を巻き始めた。


 私は連句のルール(式目)は超基本的なもの以外知らなくて、俳句に例えると「俳句って五七五?季語がいるの?」くらいの解像度で毎回連句に臨んでしまっているし、川柳の友人は連句自体が初めてだった。しかし、上手く行くとか行かないとかそんな心配は全くなかった。ただ楽し過ぎた。基本、連句の友人の「ここに走って~、こんなポーズ」みたいな捌きを頼りに、「こんな?こんな?合ってる?」って感じで動くのだけど、私たちはみなそれぞれに個性的だったから、捌きの通りにやっても、どうしようもなく面白いポーズになった。たまに連句の友人だけが「やばい、おもしろい!」みたいな反応をしたら、川柳の友人がすかさずどこが面白いのか聞いて、連句人的ウケポイントを知ることもできた。
 しかし終わりが近づくと徐々に詠める題材が限られて、追い詰められていくような感覚が生まれてきた。連句は既に出たシーンや話題を繰り返すことができない「打越」という絶対的なルールが存在する。川柳の友人は何度も詠み直した。私も自分の句に自分で打越してしまった。ただ楽しいだけじゃなく、終盤は後ろから壁が迫ってくる迷宮でゴールを目指すようなスリルまで出てきて、私たちは脳をうんと振り絞って、知恵を出し合った。最後、私の番が回ってきて、何度目かのリテイクの後、<半透明の林に変はる>という雑の挙句が出て無事満座に至った。


 川柳の友人は「半透明の林ってきらきらしたことばが、向かふ、よりひと皮剥けて生きる気がします。全裸でトランポリンを降りて、たどり着いた先が半透明の林……。うつくしいです!!!」と上手にまとめてくれて、とても嬉しかった。そうだった、私は全裸トランポリンから降りて、ここまで友人たちと駆け抜けてきたのだった。連句の友人は満尾に「わーい!」と喜び、私は「わー!!!!」と叫んだ。

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非懐紙三吟「痕になるかも」の巻

ゆく春のトランポリンを降り全裸  

火尖

 くちぶえがまだ吹けずお遍路   

 霞

にぎはひを浮かれた猫と批評して  

祥貴

 画面真つ白蜃気楼待つ     

 火尖

境界線なくて積み重なって夜     

 あぶらまみれのモダン・タイムス 

 祥貴

野に靡くクリーニングの薄ビニル  

火尖

 鈴虫かくし彼にしちゃだめ    

 霞

きまぐれに月のうなじへ舌をつけ  

祥貴

 葛咲くやうな痕になるかも   

 火尖

墓地に雨 殴っても殴っても雨    

 凍土に燃え上がるワンカップ  

 祥貴

一斉に鳴る金管の名を知らず    

火尖

 鳥がまばたきすれば明後日    

 霞

朝焼けの回廊出汁の香は流れ    

祥貴

 半透明の林に変はる      

 火尖

◯西川火尖(にしかわかせん)
1984年生まれ。炎環、Qai〈クヮイ〉、よんもじ所属。第24回炎環賞「みらい賞」、第11回北斗賞受賞。第一句集『サーチライト』(文學の森)