Renku North America 92 (北米連句紀行92)
 近藤蕉肝

 1989年には奥の細道の旅を祈念する多くのイベントがあった。その流れを受けて私は1992年にRenku North America(RNA:北米連句紀行)の旅行を企画した。矢崎藍さん、清水一與さん、福田真空さん、藤井弘美さん、大阪の女性、それに私の妻の近藤クリスが参加して、子供達を含めると総勢10名のグループが出来た。

 私はサンタフェ在住のウィリアム・J・ヒギンソンと相談して、RNAの準備を始めた。季語の問題が予想されたので、山本健吉の『基本季語500』を英訳して、それを標準として、後は現地に合わせることにした。私はケッペンの気候地図をベースにした世界歳時記をイメージしていたが、まだ資料が十分ではなかった。先ずはアメリカで実験することにした。ヒギンソンの尽力で、サンフランシスコ、カーメル、サンタフェ、ミルウォーキー、ニューヨークの5つの都市で地元の詩人たちと連句会を開く準備が整えられた。1か月の旅である。

 ヒギンソンは当時サンタフェに住んでいた。聞くところではトーマス・フィッツシモンズもサンタフェに住んでいるという。そこで彼をサンタフェ連句会に招待するように頼んでおいた。フィッツシモンズは1982年に大岡信と二人で連詩を始めた詩人である。私は大岡氏に電話して旅行に誘った。フィッツシモンズがサンタフェに住んでいて、一緒に連句をする事になったのだが、いらっしゃいませんか。芭蕉の没後300年を記念して、アメリカで蕉風連句をする予定だと説明した。すると大岡氏は、「今時アメリカで蕉風連句をやる意味は無い」と鼻先で笑って、断ってしまった。

 我々は予定通りサンタフェに行って、連句会を開いた。フィッツシモンズも来てくれて、一緒に連句を楽しんだ。

<作品紹介>-探したが見つからない―

 終わってからトーマスが言った。「正、連句は面白いね。大岡は連句を少しも教えてくれなかったな。私は連詩から連句に転向しようと思うよ」(Tadashi, I found renku very interesting. Ooka did not teach me much about renku. I am going to switch from renshi to renku.)と真面目な顔で言った。

 彼はデトロイトで「詩のパフォーマンス」(poetry performance)をやっていることを話してくれた。日本車の輸入で潰れた工場跡で、彼の詩を演劇風に上演しているのだ。「連句パフォーマンス」も可能でしょうねと言ったら、「もちろんできると思うよ」と大賛成した。私は連句パフォーマンスを研究して、2000年にハーバード大学で上演した。

 サンタフェ連句会があった日、ラジオニュースでジョン・ケイジがニューヨークで亡くなったことを聞いた。私が連句に関心を持ったきっかけは、1975年にジョン・ケイジの『RENGA』作曲に関わったことだった。私はその時、俳句の時代から連句の時代へと大きな歴史の歯車が回ったと認識した。ポスト・モダニズムの風を初めて感じた時だった。

 人間は生物的個人と社会的存在との間で迷っている動物だ。正岡子規の俳諧近代化が、西洋から入ってきた個人主義の影響下でなされたことを我々は知っている。つまり、近代化とは個人主義化を意味していた。座の文学である連句が個人主義では割り切れないことを知っていた子規は、発句だけを独立させることを思いついた。短かった彼の人生のほとんどは発句の研究に費やされた。彼には連句の文学論を研究する時間は残されていなかった。私がニューヨークに行った1970年代は、世界で個人主義批判が巻き起こり、ポスト・モダニズムの運動が渦巻いていた。ノーベル賞詩人、オクタヴィオ・パスを含む4人の詩人が1969年にパリで『RENGA』を巻いた。それが西洋における連句の嚆矢だった。ジョン・ケイジはその連句形式に関心を持ち、その形式を音楽に応用しようと考えた。1975年当時、かれは建国200年記念のための作曲と格闘していた。もっと連句に関する情報を欲しがっていた。そこで私がたまたま近くにいたので、彼に連句について話すことになった。

 大岡の連詩も実はオクタヴィオ・パスの『RENGA』に影響されたものだった。80年代の大岡の連詩は尻取り遊びのようなもので、それは平安時代に流行した賦物形式に似ている。少なくとも蕉風を進化させたと言える代物ではなく、あえて言うならば退化である。オクタヴィオ・パスは心敬の理論を参考にしたそうだが、実際にできた作品はシューレアリズムでよく作られた尻取り遊びのような形式であった。日本の連歌史を知っていれば、新しいとは言えないが、西洋人が個人主義の反動として座の文学に関心を持つきっかけになったことは否めない。しかし日本人がその尻馬に乗って、それに「連詩」という名称を与えて、あたかも新しい詩の形式であるかのように宣伝したのは、浅薄としか言いようがない。フィッツシモンズが一度だけ我々と蕉風連句の座を共にしただけで、たちまち連句の面白さを知り、連詩の空しさを悟った事実が、そのあたりの事情を雄弁に物語っている。

 私は能が初めてアメリカに紹介された時のエピソードを思い出した。能はアメリカ人には難しすぎると心配した役者たちは、老婆心から易しめにアレンジした能を演じた。観客の反応はいまいちだった。二度目は、小細工を弄することを止めて、普段の能を演じた。すると、観客は感動して能は素晴らしいと言ったそうだ。連句も能と同じで、伝統の中に良さがあるのだ。伝統の価値をそのまま伝えることが重要なのだと悟った。日本独特の連句の価値は、実際は世界的な普遍性も持っている。日本の連句の伝統に普遍的な価値があるならば、出来るだけ明確にそれを伝えるべきである。連句の価値を論じると、このスペースでは足りないので、別の機会に譲りたい。

補遺
 オクタビオ・パスの『レンガ』によると、その連句会を開くにあたって心敬の『ささめごと』を参考にした旨ジャック・ルボーが言及しているが、それが実作にどれだけ役に立ったかは疑問である。『ささめごと』には形式に関する言及がないばかりでなく、実作の句の作法についても詳しい説明はない。『ささめごと』は連歌を知り尽くした人を想定した評論であって、連句入門書ではない。

 彼らが作った作品「レンガ」は、ヨーロッパのシューレアリストの間で行われた「尻取り連句」の特徴を色濃く残している。それは良く言えば俳諧の伝統にもある「意味付」或は「心付」と取れないことはないが、度々同じ言葉を繰り返しているので、「尻取り」のDNAが強く感じられる。この現象を西洋史の視点で説明するなら、シューレアリストの間で行われた「尻取り連句」が、『ささめごと』の影響によって「意味付」或は「心付」の方向へ止揚されたと解釈できる。それは文学史的には小さな進化であったと言える。ところがそれを退化させたのが「レンガ」から13年後に発表された「連詩」であった。「連詩」は前句の言葉をそのまま繰り返す純粋尻取りのDNAを復活させてしまった。それは平安時代にもあった「賦物」遊びの一種であって、新しい形式として20世紀に復活させるほどの物ではなかった。「連詩」はオクタビオ・パスの「レンガ」の影響を受けて出現したものだったが、その文学史的進化の可能性を生かすことが出来なかった。

「RENGA」の例(カッコ内は原語;英訳はチャールズ・トムリンソン)

The sun advances over bones benumbed:
in the underground room: gestations:
ants ooze already at the mouths of the metro.
An end of dreams, and the gift of tongues begins: (西語:オクタビオ)

And the gestureless speech of things unfreezes
as the shadow, gathering under the vertical
raised lip of the columns’ fluting, spreads
its inkstain into the wrinkles of weathered stone: (英語:チャールズ)

For the stone is perhaps a vine
the stone where ants jet out their acid,
a spoke word that readies itself within this cave: (仏語:ジャック)

Princes! tomb and showcase, I heaved up ghostly saliva:
my jaw gnawed its syllables of sand:
I was relic and clepsydra through the panes of the West: (伊語:エドアルド)

各連が同意語・縁語で連結している:tongues-speech, stone-stone, cave-tomb

参考書:
Renga: A Chain of Poems, by Octavio Paz, Jacques Roubaud, Edoardo Sanguineti, Charles Tomlinson, Translated by Charles Tomlinson. New York: George Braziller, 1971.
大岡信・トーマス・フィッツシモンズ、『揺れる鏡の夜明け』(筑摩書房、1982)
大岡信、『連詩の楽しみ』(岩波新書、1991)では変化している。

未完
(近藤蕉肝、2022年1月9日)

近藤蕉肝(こんどう・しょうかん)
哲学者(専門は記号学)、俳諧師。
成蹊大学名誉教授、日本連句協会常任理事、落柿舎保存会評議員、義仲寺保存会総代、連句国連発起人、伊勢原連句会・慈眼舎連句会主宰。