東京と大阪のふたりによる往復書簡

vol.3 2021.08.07 高松霞

いきなりこんなことを言われても困るだろうけれど、私は肋骨が一対足りない。「たまにこういう人いるんですよ!」と整形外科医はレントゲン写真を指差し、生まれつきのもので病気ではないし、生活に支障はないと言い添えた。前日、私はハイヒールで盛大に転倒し、足首と腰をしたたかに打った。足首は全治3ヶ月、腰は全治2週間。そして肋骨が一対足りない。それがその時の診断だった。

ある飲み会で、ゲーム作家の米光一成さんが「ぷよぷよは6列じゃなきゃいけないんだよ、説明しようと思えばできるけど、説明しなくても感覚的にも6列なんだ」と言った。別のゲーム作家が「なるほど、わかります」とうなづき、私はポカンとした。なにそれ、全然なるほどじゃない。しばらく話を聞いていても理解できず、座が別の話題に変わった時、突然ひらめいた。「米光さん!連句は表六句です!」叫んでしまった。説明しようと思えばできるけど、説明しなくても感覚的にも六句です!「そう、そういうこと」ニヤッと笑ってくれた。米光さんも連句をやるのだ。わかるわかる。6だ。6でなければいけない。

門野さんもわかってくれるでしょうか。多くの連句人は「(歌仙の)表は六句でなければならない」ことを理解できると思います。けれど、おそらく外側からはわからない。私の肋骨のように、表が四句だろうと八句だろうと、読むことには支障がないのです。先日YouTubeで「連句ゆるりチャンネル」をつくったとき、視聴者の方が「連句の見どころがわかってありがたかった」という感想をくださいました。連句の肉体だけ見せるのでは足りない。それを成り立たせている骨の一本一本にも(こちらが工夫をこらしさえすれば)面白さを提示することができるはずです。連句新聞でも、なんかそういう企画やりましょう。

今号も諸先輩のご協力をいただき、連句新聞2021年秋号を公開することができました。各会の定例会が休止するなか作品をお寄せくださり、本当に感謝しています。連句新聞が目指すことのひとつは、現代連句のアーカイブ化です。現代の連句人の作品と歴史を残すために、「現代連句はこれだ」と言い続けていきます。今後とも楽しんでいただけると嬉しいです。