高松霞と門野優の往復書簡

vol.7 2022.08.06 高松霞

夏休みで熱海に来てます。昨日は晴れで、今日は小雨です。
本当は京都に行く予定で、大阪にも寄って門野さんに会おうと思っていたんですが、コロナで中止になったのでした。熱海の温泉宿にタブレットを持ち込んで、連句新聞秋号の文字起こしをしたり、この編集後記を書いていたりします。

先日、友人から「俳句の友人たちと連句を巻いたので、勉強したいから意見をもらえないか」と半歌仙が送られてきました。よしきた!ってビシバシ返信したところ、納得してもらえた部分もあればそうじゃない部分もありました。特に「擦り付け」と「付きすぎ」の違いに関して「言語化して欲しい」と言われ、悩んで考えて文字を打って、どうにかこうにか理解してもらえたのですが、「言語化」というのは、現代連句の課題だと思っています。

どんなゲームにも(連句を「ゲーム」と言うのは大雑把すぎるけど)ルールがある。連句にルールがあるからハードルがあるのではなく、連句のルールを言語化してこなかったから、ハードルがあるんだと思う。「こういうルールがあります」ではなく「このルールは一巻にどのような効果をもたらすのか」を伝えるべきで、私たちはそれをしていかなければならない。

熱海はよいところで、温泉入ってお魚食べて、海を見ながらただただボーッとまどろむばかりで、だからこそ帰って、やるべきことに正面から突っ込んでいかなければならない。誰にそうしろと強制されたわけでもなく、自分で自分を奮い立たせて、でもだって、出会ってしまったんだから仕方ないよね。