【草門会】胡蝶「約束の蛍」の巻
行きつ戻りつ 山地春眠子
今(元和二年)からざっと四十年ほど前の昭和五十年代。この胡蝶を巻いた私たち四人は東京義仲寺(ぎちゅうじ)連句会の新人で、真鍋さんらの諸先輩にしごきあげられていたのだった。
作家で俳人の天魚真鍋呉夫さんが亡くなられたのは平成二十四年(二〇一二)六月五日。享年九十二だった。早いもので今年が十周忌となる。この一月二十五日には「書肆 子午線」から、『真鍋 呉夫全句集』と直弟子・近藤洋太さんの畢生の大著『真鍋先生-詩人の生涯-』の二冊が上梓された。
この四人の中では一番早くに真鍋さんを知っていた繭さんから、「天魚さんに奉呈する一巻を脇起の文音で」と提案があったのが六月十五日。発句は氏の晩年の代表作の一つで、形式は氏が提唱した六行四連型の胡蝶。一花二月だがウラ五句目に草花のの句をるのが特徴。ルーズな句は一句も出せない。特定の捌はいないが、四人それぞれ意見を交わす厳しい文音となった。
例えばナオ二句目は、初め「女護ヶ島よと伽の年増が」で、 これに「捕はれの鎖は心縛りたり」と付けて恋の座にしていたのだが、繭さんから「恋が淡すぎる、もっと頑張って」とクレームがついた。で、これを後覧の無常に変え、老いの句で受ける展開とした。
こんな「行きつ戻りつ」は細かい打越修正を含めたら沢山ある。だから良い一巻になったとは言わないが、四人それぞれに苦労したことではあった。
なお,註を二つ。
ナオ4は星野石雀さん(俳誌「鷹」の主要同人で、やはり東京義仲寺連句会のコワーイ先輩。(大正十一~元和元)の代表作の一つ「醜女日記<鴨をむしり・少年をほどく>の本試取。
だから次のナオ5でも李白を盗んだ。原詩を書いて置く。
『早発白帝城』
朝辞白帝彩雲間/千里江陵一日還
两岸猿声啼不尽/輕舟已過万重山
早(つと)に白帝城を発(た)っ
朝(あした)に詳す。 白帝彩雲の間(かん) / 千里の猿声(えんせい)啼いて尽きざるに/軽舟(けいしゅう) 已(すで)に過ぐ万重(ばんちょう)の山
読み下しは『中国 詩・中巻』(岩波文庫)による。
脇起 胡蝶「約束の蛍」の巻
約束の蛍になつて来たと言ふ
真鍋天魚
入江で待つはほのか夏星
工藤繭
天網を洩れたる風は颯と立ちて
山地春眠子
管弦楽曲今日も試聴す
村松定史
後の月ジャングルジムをのぼる月
川野蓼艸
無限に揺るる草の紅葉が
繭
ウ することなく腓叩けば鵙が啼く
春眠子
秋思の三面六臂が浮かぶ
廖艸
特急は沿線の駅黙殺し
定史
22/7はπの近似値
春眠子
冬すみれの群れ咲きて論はむか
繭
春の日中に燃える狐火
廖艸
ナオ 逢々と旅の太鼓の村に入る
定史
鬼界ヶ島に果てし俊寛
春眠子
捕はれの鎖は心縛りたり
繭
老日記「爺を毟り罌粟の実を潰す」
廖艸
月涼し白帝城に猿啼いて
春眠子
不覚大酔仕り候
定史
ナウ 愛憎は左右に曲りどん突に
繭
木端微塵になりし睦言
春眠子
牧神と契りし誓ひ血のあかし
定史
反射一瞬春の湖
繭
異界より至り花と咲き花と散る
廖艸
クレソンの丘キヤンターで行く
定史
令和二年六月十五日 起首
九月十一日 満尾
文音