ソネット俳諧 「隅々まで届け」の巻
ソネット俳諧は、昭和から平成にかけて形作られてきた新形式である。
西洋の伝統的な十四行詩「ソネット」の枠組みを借り、様々な式目が考案されてきた。珍田弥一郎式、鈴木漠式、そして今回「ゆるくない連句をゆるく巻く会」で行った山地春眠子式である。この三人の連句人のソネット俳諧を比較してみよう。
まず、珍田弥一郎が試みたソネット俳諧には、「恋の句を一巻の中で存分に楽しみたいというあこがれ」(『杏花村』昭和52年9月号)があった。式目は以下の通りである。
(1)十四行を四・四・三・三の四章に分ける
(2)各章に一つの季を入れる
(3)一花一月とし、前半二章・後半二章にくみ込む。特に花の座は一巻の恋の結論とする
(4)発句・脇・第三・挙句については、発句が当季で始まるという制約以外は自由とする
(5)恋の気分の転換をはかるため、適宜叙景句をはさむ
珍田式ソネット俳諧には、各章にほのかに「恋」の気配がある。普通の連句の「恋」よりも、もっとずっとうっすらとしたものだ。
橘の林にこもり夢較べ 石雀
白南風はこぶ少女の口笛 洋太
牧神に踏まれて泥をうれしがり 弥一郎
麝香の瓶に茜さすころ 博之
(ソネット『夢較べ』珍田弥一郎捌 昭和五十二年)
ソネットをどのように組み立てていけばよいか、珍田はこのように書き記している。「十四行四章は四面の鏡からなる部屋だということだ。これが円形の鏡・円形の部屋にならないためには、各面のつなぎ目が明確に切れていなければならない。切れのつよさが次の鏡を立てさせる。そして四面それぞれが同じ色彩・同じ動きであってはならぬこと」(『杏花村』昭和53年2月号)
「四面の鏡からなる部屋」とはどういうことだろうか。珍田弥一郎式のソネット俳諧の連衆のひとりに、山地春眠子がいた。珍田のもとでソネット俳諧を捌き、やがて独自の式目を提案する。自由律だ。
梅×(白+紅+老+盆) 進藤土竜
ふらここふらふらふらりと神様 高松霞
台所を真夜中にチョコだらけにする 岡部瑞枝
獺魚を祭る 油のやうな酒 村松定史
(ソネット『ふらりと神様』山地春眠子捌 平成二十八年)
山地は珍田の「恋」から離れ、より強固な「四面の鏡からなる部屋」をつくることを目指した。珍田が考案した式目「十四行を四・四・三・三の四章に分ける」「各章に一つの季を入れる」「一花一月とし、前半二章・後半二章にくみ込む」はそのままに、第一連・二連が自由律、三・四連目を定型とした。自由律の「鏡」そして、定型の「鏡」を立てさせることで「部屋」が現れる。
珍田弥一郎、山地春眠子の思想に対して、鈴木漠の思想はクラシカルであるように思われる。鈴木はソネット俳諧を「抱擁韻」「交叉韻」「平坦韻」の三つに分けて行っている。ソネットの起源に立ち戻り、「二つの四行詩と二つの三行詩それぞれの脚韻が響き合う詩形式」(『連句茶話』鈴木漠 2016年)を守っているのだ。
陋巷に季節の旗やかき氷 永田圭介
夕の運河に飛べる蝙蝠 鈴木漠
また明日遊ぼうよねと約束し 赤坂恒子
じやんけんぽんで負けは目隠し 三木英治
(ソネット平坦韻『かき氷』令和三年)
ソネット俳諧の式目はひとつではない。複数の連句人が独自の思想を打ち出し、形式を考案し、実践を繰り返す。そうやって新形式はつくられていくのだ。(高松霞)
ソネット俳諧「隅々まで届け」の巻
高松霞捌
枯野の隅々まで届けと歌っていた
ナヲコ
天使は羽根を小さく小さく鳥に譲る
なな
トルコ石貨物列車はすべて一繋がり
直
海が見えたら起こしてほしい
元
流星が刺さって開けた穴 こちら
ナヲコ
成長痛をチョコで紛らす
康
父さんが絵巻の鬼を慰める
元
きらびきにある断りの文字
はるか
どのサングラス選んでもなんか笑っちゃうね
ナヲコ
業務連絡「月下に河鹿」
元
ぬばたまの二度と応えてくれぬSiri
直
零しつつ呑む山廃の酒
なな
花言葉唱えて爪を塗る時間
霞
チェロ鳴り響く道に春風
はるか
「ゆるくない連句をゆるくやる会」
2021年9月19日